私が村上春樹を読む理由は日本人的発想であって、
みんなが読んでいるからということに気が付いた。
ただこの前、春樹を知らないという学生に逢い、
なんとも言えない気持ち湧きだした。
私の発言する「みんな」とは誰のこと?
春樹の綴る文章は耳で読んでいる気がして好きだから、
今後も読み続けるけれどね。
昨日は授業中にずっと浅田次郎の「ひとは情熱がなければ生きていけない」を読んでいた。
浅田次郎は今後読みすすめたい作家の一人。
その本は自伝みたいな感じなのだけど、一気に読めちゃった。
「すべての芸術の真価は、大衆の誰にも理解される普遍的感動によってのみ証明される」
という言葉が印象的。
それから、書き手には饒舌な者と寡黙な者がいて、
彼自身は饒舌である側に分けられるという話もあった。
私は明らかに寡黙故につづる人間に分けられるのでなるほどなぁ、なんて思ったり。
ライヴは自分のエネルギーを跳ね返していることを知ってしまったから、うまく書けないんだよね、きっと。
もっと自分の放つことば一つ一つに魂込めたい。
もっと多くの偉大なる著者の作品を読みたい。
読書にかける時間は早いけど、流し読みしていく傾向があるから、
じっくり一つ一つの魂を拾っていかないといけないんだな。
図書館で出逢った、一冊の本。
『みんなの「生きる」をデザインしよう』
タイトルで借りてしまったもの。
NHKの「課外授業ようこそ先輩」を一冊の本にしたものみたい。
先生はタイポグラフィーの菊池さん。
印刷された文字をおもしろく表現する職業、といえばいいのかな。
ちなみに、私がタイポグラフィーという言葉を知ったのはつい最近、
しかもPlastic Treeのアルバム『ネガとポジ』の歌詞カードに感動して、
見てみたら、竜太朗さんがその仕事をやっていたとのこと。
こういうの、すごいなぁ。
小学生の子供たちが一冊の表紙を作っていく課程にも感動なのだけど、
何よりもここで用いられていた谷川俊太郎の生きるの詩が私が思っているそのものだった、
「ふっと或るメロディを思い出すということ」
最近、音に記憶を閉じ込めるという行為はすごく人間らしいってレポートに書いた。
さて、私の未来の表紙はどんな色をしているのかなぁ。
乙一を読んでいると、主人公と重ね合わせてしまう自分。
周りとうまく笑えない様が手にとって分かるように、
文字となって戯けている。
本当はもっと上手く笑って、話して、とけこみたいのにな。
ある程度の仲の人じゃないとそれがとっても難しいの。
私のために涙流してくれる人、
相手のために泣ける人、
いったいどのくらいいるのだろう?
お腹が痛くっていたくって、全然眠れない夜。
今年の夏休みの目標は本を読む。
よって読書に励む、それが一番。
家に読みたくって借りてきた本が20冊近くあります。
本の虫。
今、小説系で読んでいる本は
椎名誠『銀天公社の偽月』
現実世界かと思いきや、気付けば少し古風なようで近未来的な
非現実的世界に飛ばされる。
日常に溢れている単語じゃないものが使われている世界なのに、
なぜか容易く想像できる。
脂の雨。
まさにこの熱帯夜にぴったりだ。
他人には関わらず、このままいっそのこと空気になりたいって思う。
ただ、こうやって他人を意識している時点で
私は社会の枠組みに囚われている人間なんだなぁと痛感。
そう最近社会学を学んでて思うのだけれどもね。
そして、この本を読んで改めて感じた。